Complete text -- "開港50周年記念日の横浜鉄桟橋"

13 February

開港50周年記念日の横浜鉄桟橋

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山田廸生(会員)

 この古ぼけた写真は、横浜港の鉄桟橋(大桟橋の前身)の情景である。写真の右下端にトンボ印があり、明治38年(1905)に伊勢佐木町で開業したトンボヤの絵葉書であることがわかる。筆者はこの絵葉書を川崎の古本屋で買った。500円だった記憶している。
 じつは、この写真、博物館の展示パネルや史書やポスターなどでよく見かける。新しいところでは、田中祥夫氏著『横浜港の七不思議』(有隣堂新書、2007年刊)のカバーに使われており、「横浜桟橋 明治後期」というかんたんなネームが付いている。筆者の知るかぎりでは、本書にかぎらず、この古写真のくわしい説明をこれまで見たことはない。 
 この写真は、正確なところ、いつ撮影されたのだろうか。写っているのは何という船だろうか。内外の客船史書などで調べてみた。


着岸している船を特定する

 写真は、手前が陸側、向こうが沖側。つまり、左が新港埠頭側、右が山下側である。4隻写っているが、いちばん左の船は舷側しか見えないので、船名特定は難しい。その向こう、左の沖側の客船は、煙突と船型から判断すると、北ドイツロイド社(NDL)の極東〜欧州航路の定期客船「将帥」Field Marshall級11隻のうちの1隻らしい。将軍名を船名にしたこのクラスの船は、日露戦争後から第1次大戦にかけて来日している。とすると、この写真は第1次大戦前の撮影ということになる。後年、内地〜台湾航路の「吉野丸」になった「クライスト」Kleist(8,959総トン)も、このクラスの1隻である。
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「将帥」級の1隻「シャルンホルスト」Scharnhorst(筆者所蔵)

 次に右の沖側の船。出港が近いようで、見物人が集まっている。英国商船旗を掲げたこの船はP&O社の船らしい。この時期に来日した単煙突、3本マストの定期船は「オリエンタル」Oriental(4,971総トン)である。

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「オリエンタル」(筆者所蔵)

 そして、右側の手前の汽船。この桟橋位置には日本郵船の横浜〜上海航路の定期船が着いた。この時期の上海航路船で、三島型。簡素なハウス構造。これは「筑前丸」級(同型船筑後丸)である。ちなみに、郵船の煙突に二引きが標示されたのは昭和4年からである。

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「筑後丸」(筆者所蔵)

 3隻は満船飾である。そして、桟橋はおおぜいの見物人で賑わっている。見物人の装いは夏姿。みな、きちんとした装いだ。この日は何かの祝賀記念日ではなかろうか。

明治42年7月1日の横浜鉄桟橋

 思い浮かんだのは、明治42年(1909)7月1日の横浜開港50周年記念日である。(現在は陰暦にちなむ6月2日が開港記念日になっている)。
さっそく、『ジャパン・ウイークリー・メイル』The Japan Weeekly Mailと『横浜貿易新報』にあたり、この日(とその前後日)の出入港船を調べてみた。
 やはりそうだった。
 写真の3隻は向かって左から、NDL社の欧州〜極東航路定期船「ヨルク」Yorck(8,976総トン、入出港6月28日〜7月3日)、P&O社の上海航路定期船「オリエンタル」(同6月30日〜7月1日)、日本郵船の上海航路定期船「筑後丸」(2,563総トン、同6月29日〜7月4日)である。このうち「オリエンタル」は、開港記念日の当日に出港している。見物人が集まっているのは、出港が近いからであった。
 ちなみに、「筑後丸」は、日本郵船が英国に発注建造した中国航路用の貨客船である。明治40年にグラスゴー、クライド川沿いのD&Wヘンダーソン造船所で誕生した。回航後、横浜〜上海航路に就航した。同航路の開業は明治8年。郵船が三菱会社から継承した由緒ある定期航路であり、日本初の海外航路として知られている。同船の客室配置図によると、写真の舷窓が連なっている船橋楼の前部(タラップがある舷門のあたり)に、食堂と談話室兼用のダイニングサロンと1等客室(6室)が設けられていた。その上層のハウス内には、ロビーと船長室があった。
 繰り返すが、この古写真は、開港50周年祝賀で賑わう横浜港鉄桟橋の情景である。ご承知のように、昨年(2009年)は、安政6年(1859年)の横浜開港150周年ということで、さまざまな行事でにぎわった。展示や出版もさかんだったが、記念すべきこの写真を説明つきで紹介したものはなかった。
 遅ればせながら、ここに紹介する。






07:18:23 | umi | |
Comments

ワークスK wrote:

1900年、横浜から渡米した新聞記者の手記に、艀で難儀した話があったのですけれど、当時はこの鉄桟橋が出来ていたはずで不思議です。それで検索していてここに辿り着きました。東洋汽船の日本丸で往き、亜米利加丸で復しています。
 この写真を拝見して、桟橋上の線路は貨車用か客車用かなどと疑問はさらに広がってしまいました(笑)
06/30/10 09:32:33
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