Archive for August 2009

22 August

宇佐見湾だより2



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宇佐美にある城山は、「頼朝25功臣」のひとりで、頼朝の信頼あつい有力御家人のひとりとして鎌倉幕府の要職をつとめた
宇佐美祐茂の居城あとです。当地は、1491年、宇佐美氏が北条氏とのいくさに敗れた後、1590年(天正18年)豊臣秀吉
の小田原城攻めまでその支配下にありました。以後徳川氏の直轄地として幕末まで、幕閣をつとめた稲葉、大久保、松平
の各氏、そして江川氏の支配下にありました。

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宇佐美祐茂壘趾碑

写真にある宇佐美祐茂 壘(るい―とりでの意味)趾碑は、城山の一角に昭和2年に建立されたものです。左端に第一高等
学校長杉敏介と書かれています。旧制一高と城山の関わりは、関東大震災により、当時館山にあった水泳部の詠帰寮が
全壊し、海面が隆起したため、学校側、OB等が代替地として宇佐美が最適であると決めたことによります。昭和13年に駒場
プールが完成したため、城山詠帰寮での競泳合宿は行われなくなりました。かわりに、理科端艇部、空手部など754人が
来寮したとあります。設備は、和船1、ヨット4、ボート3、笹船4、筏1、図書、娯楽設備多数といった状況でした。これら小型艇
は転覆しやすく、遠泳の訓練とともに戦時に対応しております。

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詠帰寮跡地

まわりをけわしい山にかこまれ、海に面したこの高台に、海防、戦時という状況下、(日本)軍部が目をつけないはずはなく、
終戦のころには軍の通信施設として徴用されていた時期もありました。昭和25年2月、東大に移管された詠帰寮は、宇佐美寮
と変更され、教養学部水泳部の運営するところとなり、一般学生、ゼミ生、教職員など多数おとずれた。昭和33年の狩野川台風
のあと10年ほどして閉鎖されております。

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詠帰寮から見た浜

先日、宇佐美の温泉プールで東大水泳同好会のグループを何回か見かけました。そこには、往年の一高水泳部が嫌な権威主義
にたいする唾棄、(として、またすべての)結論として、ひんぱんに使っていた「馬鹿野郎」といって憚らなかったことなどなく、
(のことばもなく、)見たのは、育ちのよい、礼儀正しい若者グループでした。 
ついでに、戦後、宇佐美寮を訪れた人のひとりに、映画監督の山田洋次氏がいた。この寮に行った目的がおもしろい。「学生寮で、
かねてからうわさの高かった宇佐美寮管理人の娘である美人姉妹のスケッチを描こうということになった。いつがいいか、あすか明後日か、
いやとても待てないから今夜これからと、スケッチブックと食料をもって駆け出すように寮をとびだした。深夜、宇佐美駅に着いた一行は、
真っ暗な藪のなかの山道をすべって、転んで、木の枝に引っかかりつつも高台をめざした。なにしろ、すてきな美人ふたりに逢えるという
興奮があった。」(恐ろしやマドンナである。)そこには、媽祖、マリヤ、マドンナ信仰に通ずるものがあった。



外岡大成 (会員) 

15:23:14 | umi | |