06 April

2014年3月の例会、そして英香へ

今年(2014年)の三月の例会の一コマ
例会は、春名徹さんの「過渡期の海難救助費用の負担問題」というテーマで行われました。
例会には、毎回、常連の方、地方から上京され参加された方など20〜25人ほどが参加します。
今回の通信は、三月例会の一コマをご紹介いたします。

駒場東大は三月末ということで桜が満開。例会報告の後、駒場グランドの桜を見に行くことになりました。



安達会長の向こうに駒場グランドの枝垂れ桜が見えてきました。



この桜は、かなりの古木で、花びらが淡く歴史を感じさせる落ち着いた桜並木になっています。
グランドでは野球部が練習をしていました。東京六大学でなかなか勝てない東大野球部ですが、
いつもここで練習しているのでしょうか。
そういいえば、「野球」の名を考案して名づけ親になった正岡子規も、一高時代には駒場で野球を始めたということです。
はたして、子規もこの枝垂れ桜を見ながら野球をしていたのだろうか?などと思いをはせながら、会員諸氏はお花見を楽しみました。




さて、ここから、数分、例会の案内でかならず登場する懇親会「英香」へ向かいます。
例会に参加される会員の皆さんの約半数は、ここに、再集合して例会の講師をかこんでの二次会となります。
地方からご参加の皆さんも時間のゆるす限り、この懇親会にご参加していただければと思います。
思わぬ貴重な情報が得られるもの懇親会ならではです。




※個人情報なのでなるべく顔が出ない配慮をいたしましたが、写真で顔が見えてしまった方、
特定の会員向けブログということでご容赦いただければ幸いです。
07:02:27 | umi | |

01 August

海軍の威信とアメリカ国民意識――パナイ号事件に見る文明の違い――


 当事件が表面化されることはなく、知る人はあまりない。
国民国家意識が醸成された米国民に向かって、対アメリカ軍事担当の海軍が介入を仕掛けたこの事件を通じ、その3年後に生じたアジア太平洋戦争との関わりについて、院生時代のテキスト、笠原十九司「日中戦争とアメリカ国民意識」『日中戦争』中央大学人文科学研究所編1998年8月p391〜p465から少々述べてみたい。
 1937年12月12日、南京攻略作戦の最終段階、海軍機が南京付近の長江を遡上中のアメリカの砲艦パナイ号と3隻のタンカーを攻撃、撃破、撃沈、船長2名を死傷させ、多数の重軽傷者を出した。南京大虐殺の行われた時期と場所が同じ地域であったこと、このとき、8名の報道カメラマンや記者、多くの外交官等が乗り合わせていた。報道関係者は日本軍の残虐行為を中国サイドから取材したあと、南京から避難中の出来事であった、途中で日本の陸軍士官がパナイ号を停船させ、乗艦して、目的や停泊地を調べていった。
 事件発生当日は、晴天、午後1時38分、攻撃してきた爆撃機の日の丸をはっきり確認した。1次攻撃は3機の爆撃機、2次攻撃は戦闘機6機で、計20発の爆弾投下、負傷者運搬中の救命ボートに向かって機銃掃射が加えられた。パナイ号と、護衛されていた3隻の米スタンダード石油会社タンカー各船には、複数の大型星条旗が掲げられ、上空からもはっきり確認できた。この事件は翌12月13日のアメリカ大手新聞各社により、一面すべてが当てられるなど、大きく報道され、乗船していたユニバーサル映画のカメラマンが撮ったフィルムは、映画化されニューヨークの映画館はどこも満員になった。
 ワシントンポスト紙は、1938年1月18日に「・・・すべての日本商品のボイコットによってのみ狂気の日本軍閥を抑制することができる。アメリカの少女ならびに女性たち、絹をボイコットすることで戦争は阻止できる・・・」と反日感情はきびしく、女性側は実力行使に出た。ルーズベルト大統領下の和平交渉は、日本側も誤爆を認め、丁重な陳謝、損害賠償を約し、アメリカ政府との決着はついた。海軍側の戦略どおりに事は推移し、国内では、一件落着、馬耳東風を決め込んだものの、内心、威信を保ちつつも、勝ち目のない対米戦を避けるために必要な、極めて重要な作戦でもあったことも承知していた。報道の自由に対する米側の過剰防衛反応もあったにせよ、日本軍国主義に対しての恐怖は増しつつあった。  

 防衛研究所紀要 第11巻第1号(2008年11月)戦史部第1戦史研究室の論文によると、1941年12月の真珠湾攻撃は、山本五十六連合艦隊司令長官直々の命を受け、徹底した情報収集と機密保持を基に綿密な作戦計画と訓練が行われ、そしてその作戦意図を最後まで隠し通した海軍による戦術的インテリジェンスの金字塔であった。時期的にも、F・W・ランチェスター法則7割5分という、米英と互角に戦える戦力ぎりぎりの可能性を擁した最後のタイミングにあった。戦争が長引けば負けることもまた必至であった。そしてこの難問に対する解答を提示したのが山本五十六長官であり、それこそが航空機の奇襲による真珠湾攻撃なのであった。 
 さらにはこの奇襲攻撃が成功した後に海軍が頼りにしたのは、アメリカの世論が厭戦気分に支配されることと、ドイツの欧州制覇であった。すなわち山本は戦術的に米海軍を叩く方法を提示し、成功したが、戦略的な解決方法となると明確な解答を提示するまでには至っていないということになる。
恐らく戦術的に見れば、海軍の判断は極めて合理的なものである。しかし戦略的に見ると、対米戦という判断は全く意味のないものであろう。
既述したように、日本軍には中長期的な観点から状況を判断するセクションが存在していなかった。そして海軍はアメリカ世論が長期戦に耐えられない、という何の根拠もない予測に頼ったのである。
 山本は真珠湾攻撃がアメリカの世論に打撃を与えると考えていたようであるが、そのような考えは全く逆であったことがすぐに露呈するのである。そもそも米世論の厭戦蔓延とドイツ軍の進撃に賭けておきながら、米世論に対してプロパガンダ工作を行うことや、ドイツ軍に対する客観的な研究を実施することは不十分なままであった。国内への報道問題で有名なのは、台湾沖航空戦における戦果誤認であろう。台湾沖航空戦とは1944年10月12日から16日まで行われた日米間の航空戦であり、この戦いで日本側航空戦力は大打撃を被ったが、大本営は現場からの報告をそのまま鵜呑みにしてしまい、空母19隻(本作戦に参加した米空母は17隻)、戦艦4隻を撃沈、撃破と発表、日本中を勝利に沸かせた。
 もしこの戦果が本当であれば、西太平洋における米空母部隊はほとんど壊滅したことになる。実際に撃沈された空母は一隻もなく、この過大な戦果は現場の未熟な搭乗員の報告とそれを受け取る指揮官が確認作業を怠ったことにある。この手の報道は、中毒症状を呈する傾向にあるのか、米空母「レキシントン」は6回、「サラトガ」は4回も撃沈されたことになっている。そのあまりの杜撰な報告に天皇は「サラトガが沈んだのは今度でたしか4回目だったと思うが」と軍令部総長に苦言を呈す有様であった。原爆投下、焼夷弾により国家の現実を目の辺りにすることとなった。
     
ご参考までに、2013年終戦戦記念日にあたり、以下「昭和天皇による人間宣言」と1930年ころのドイツ新生児教育の資料を「東海大学教養学部人間環境学科社会環境課程  鳥飼研究室」より引用させていただきました。
 。


アメリカの砲艦パナイ号

05:29:27 | umi | |

21 October

平成24年の総会懇親会から


しばらくの間、会員通信が途絶えてしまいました。管理者の力不足で恐縮です、ご容赦ください.

日本海事史学会は安達会長の尽力と副会長、理事の皆様の支えで、毎月の例会と年1度の総会が運営されています。
安達会長の退官により、今年度からは、例会の会場を駒場東大の中にあるファカルティハウスのセミナー室に移して開催され、
総会も特別講演もここで行われます。
今回の通信では、今年の総会の特別講演後に行われた懇親会のポートレートをご紹介したいと思います。

ここ、ファカルティハウスは駒場友の会が運営し、亡き小佐田先生ゆかりの一高同窓会館跡地に外国研究者のゲストハウスや
セミナールームなどを持つ複合施設として設立されたものです。


なんといっても、駒場周辺のセレブな奥様が大喜びのフレンチレストラン 「ルヴェ ソン ヴェール駒場」が1階に開店したことにより、
ファカルティハウスで開催される日本海事史学会の懇親会は料理が格別においしいという評価を得ることになりました.


さて、世の中、いずこの学会も高齢化が進む中で、毎月の例会や総会に出席される会員数も減少ぎみですが、
海事史総会の懇親会には遠方から久しぶりに訪れる方あり、意気軒昂、新旧の研究者の情報交換の場として、まだまだ、
その役割は衰えてはいないものと思われます。関西からは、いつも松木哲副会長がご参加くださいます。



今年の総会の特別講演は会員中西聡氏の北前船と日本資本主義ーその活躍と経営遺産ーでした。講演を終えて安堵の中西会員です。



懇親会は情報交換の場でもあります。例会に参加するのがたいへんな遠方の会員の方にはぜひご参加いただき懇談して楽しんで
いただければと思います。退官後の安達会長は気力充実、とても元気ではりきっています。



最後に、ルヴェ ソン ヴェール駒場の料理をご紹介します。そして、毎月の例会、来年の総会でまたお会いすることを願っております。
地方の会員の皆様、遠方の会員の皆様もご参加いただけると幸いです。
07:40:54 | umi | |

17 May

美貌の兵

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 小佐田先生の句集が出版されましたのでお知らせいたします。
この句集は、先生が指導教官であった東大学生俳句会のOB有志により、平成20年の秋から準備が進められていたのですが、
そのさ中、昨年の春(平成22年3月23日)に先生が急逝されたために遺句集となってしまったものです。
 東大学生俳句会の機関誌である「原生林」は、先生が立ち上げた東大教養学部作句演習ゼミから生まれたものです。
先生の生前に、東大には俳句を作って単位が取れるゼミがあったと伺っていましたが、この遺句集の編集経緯や末巻の
小佐田哲男選「原生林アンソロジー」などとしてその全貌がこの句集に収められています。
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 この句集のタイトルでもある「美貌の兵」は巻頭にあげられた句です。先生の海軍時代のもので、自分の無事を知った少年兵が
思わず微笑みその無垢の笑顔が心に残った様子。その少年兵を上官が非常時に笑うとはなにごとか、平手で制裁した事に対し
「少尉まて!そこになおれ!!」と怒りたしなめた状況が注記として書かれています。


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 小佐田先生はメモ魔で、A6のノートを常に携帯してモンブランの極太万年筆であれこれとメモを取られていたことは皆様ご存知で
あると思いますが・・・・この句集には「八十五年寸描」として、先生の生い立ちや、先生愛用のメモ帳が「たぬき帳」と呼ばれていたこと、
東大学生俳句会のそうそうたるOB諸氏を学生の頃から「ボーズども」と呼び、句集の編集に集まるOB諸氏は「尻たたき部隊」と
呼ばれていたことなど、海事史学会員には知らざれる一面が数多く書かれています。収められた句は800であり少年期から青春期、
師である山口青邨との出会い、原生林時代、高井戸、井蛙洞暮らしと年代をおって句が収められています。そして、後半には
編集に集まったOB諸氏との写真が収められるなど、うらやむべく強く暖かい師弟の関係が示されている遺句集となっています。
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 この遺句集には、若き先生の姿や美代子夫人との写真が収められています。無断にて転載することをお許しいただき、
ここにその写真をご紹介いたします。海事史学会の皆様もすでにこの句集を手にとられている方も多いかとは思いましたが、
この連載「コサダセンセの詠草」を締めくくるにあたり、あえて掲載させていただきました。学会の例会や、その後の「英香」での
懇親会に小佐田先生の姿なく、元気な声が聞けないことがさびしい限りではありますが、句集に残された800句には小佐田先生が満載です。
 句集の連絡先は 〒168-0081杉並区宮前3−5−12久野方  東大俳句会「美貌の兵」編集委員会です。
 ぜひお問い合せください。



06:19:39 | umi | |

11 November

ひょっこりひょうたん島 2


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毎日新聞2010年6月13日朝刊のコラム<井上ひさし氏に思う>を執筆した、加藤陽子・東大教授は、私も恥ずかしながら中学3年から浪人時代までNHKを観続けたと。
<ひょっこりひょうたん島ファンクラブ>会長の伊藤悟は、東京大学理掘∧賢靴9年かけて卒業した根っからのマニアであり、子供のとき、すべての放送を記録したことでしられている。
製作スタッフに関しては、幼いころ、一家離散により不遇の環境で耐え抜いた井上、同様の山元護久、さらにプロデユーサーもしかりという。
これらのスタッフによるコラボから出来上がった作品は、かれらの単なる共同作業から出来るはずはない。NHKの英断と熱意には敬意を表さざるをえない。このミュージカル初期のエピソードのいくつかは、児童文学の名作といわれている北杜夫「船乗りクプクプの冒険」が原案になったと井上は述べている。
結果、茶の間に夢と希望をもたらし、未来への指針を、<共生社会>というかたちで示し、<テレビをみて学ぶ>ことができるということを教えた。
放送期間:1964年4月6日 から 1969年4月4日

1969年11月10日、C・T・Wが製作したセサミストリートの第一話のオープニングがあった。
「セサミストリート」は膨大な国費を投入し、現場と一流の研究者を融合させて制作された。
米国が威信をかけてつくったこの番組の目的とするところは、多民族、多世代、そして多様な動物さえも包括した住民たちが、日常生活を通じ、相和し、共存し―共生社会―、生きるという事、道徳の模範を学ぶ教育番組であった。そして子どもたちの誰もが、その個性をもって、社会に参加出来るのだと言う事をも教えた。そっくりひょうたん島であり、日本文化の海外流出である。NHKは、2004年の3月までの30年以上に亘って、その国の子どもたちが置かれている環境と問題点に合わせた共同制作版ではなく、アメリカ本国のオリジナル版を放送した。誕生以来40年、140以上の国と地域で愛され続け、世界で最も有名な教育プログラムのひとつとされ、2009年までに世界の放送業界で権威と歴史のあるエミー賞を122個も受賞するなど新記録ずくめのTV番組であった。上海万博では、浦西エリアにある1号ドックにおいて、セサミストリートのマペットたちと、万博のマスコット「海宝」との融合を通じ、未来に向かって想像し、そして探求する試みもなされた。
かような経緯をへた「セサミストリート」ではあるが、その成果や如何?それはあきらかである。世界を変えたのであった。
11月10日に放送がはじまるオリジナル版の新シリーズではミシェル・オバマ夫人も登場する。... Yes、we can! Change!


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高学年むけマルチメディア教材「ミミ号の航海」は「セサミストリート」の最初のプロデューサーでもあるサミュエル・ギボンがあたった。ヽつ譴膨世鵑任い覿皺瑤鮃匈た淪蠅蠅冒椶慧てる。◆台風の進路を避けながら目的地の島に船を誘導する、海上で遭難している船を標識信号電波(ビーコン)を手がかりに救助する。という3本のソフトと、そこで学んだことを生かした応用編の「救助任務」からなっている。(東京大学大学院情報学環beat seminarから)

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05:35:13 | umi | |